母の日の由来はアメリカから!日本はいつからどのように広がった?

母の日が近づくと、お花屋さんの店頭はカーネーションでいっぱいになりますよね。

毎年、その光景を見ると「今年も母の日が来たな~」なんて思い、
日頃忘れがちな母への感謝の気持ちを再認識するものです。

ふと、

「なんで母の日にカーネーションを贈るんだろう?」

と気になりました。

気になりだしたら、

「母の日っていつから始まったんだろう?」

「そもそも母の日ってなんでできたの?」

と気になる事がたくさん出てきました。

そこで、母の日の由来や意味について調べてみました。

これを読めば、皆さんも母の日をより感慨深く迎えて、
お母さまへの感謝の気持ちをより深く感じられるかもしれません!

よかったらご一読ください!

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母の日の由来や意味を教えて!

「母の日」は、1907年、アンナ・ジャービスという女性が
2年前に亡くなった母を悼み、追悼式でカーネーションを教会にささげた事が始まりです。

アンナ・ジャービスの母、「アン・ジャービス」は苦労して子供たちを育てただけでなく、
医療補助を行うボランティア団体活動も行っていました。

この団体は、医療や衛生環境を改善するとともに、
南北戦争において両軍の兵士の手当て・治療を行い
敵味方関係なくすべての人たちに救いの手を差し伸べたのです。

そんな偉大な母が亡くなり、母を敬愛していたアンナさんは
母を称える気持ちと、平和を願う気持ちを広げたいと「母の日」を広める運動を始めます。

その第一歩が教会での追悼式だったのです。

それが行われたのが5月の第二日曜だったため、
5月の第二日曜日が母の日として制定され、現在でもそれが定着しました。

母の日は、お母さんに感謝するだけでなく、
平和を願う日でもあったとは、驚きですね。

母の日にカーネーションを贈る由来と意味は?

では、なぜ母の日にカーネーションを贈るようになったのでしょう。

アンナさんの母親、アンさんは白いカーネーションが大好きだったそうです。

そこで、アンナさんは追悼式では白いカーネーションを列席者に配りました。

そこから、母の日に白いカーネーションを胸にさして母を称えるようになりましたが、
いつしか

「亡くなった母を称えるには白いカーネーション」
「存命の母を称えるには赤いカーネーション」

となっていきました。

そしてそれが胸にさすのではなく、母本人に贈るようになったのです。

しかし、徐々に赤や白という色分けをすることへ疑問の声が上がったり、
母親がいない子供への配慮もあり
赤いカーネーションで統一されました。

最近ではピンクやオレンジなどのカーネーションも贈りますが、
昔は赤いカーネーションが主流でしたよね。

カーネーションが赤というのにも、そんな意味があったのですね。

ちなみに、赤いカーネーションの花言葉は「愛情」です。

お母さんへの愛にピッタリの花なのですね。

日本で母の日はいつから広まった?

20世紀初頭にアメリカで始まった「母の日」。

日本ではどのように広がっていったのでしょう?

1915年ごろから、アレクサンダー女史により広められ、
キリスト教会などで母の日は始まっていたようです。

1937年には森永製菓が宣伝を行い、全国に普及していきました。

このころは、日本での母の日は皇后の誕生日である3月6日で、
5月第二日曜ではありませんでした。

このころ戦争が続き、しばらく母の日は日の目を見なくなってしまいますが、
戦後1947年、アメリカの影響もあって
正式に5月の第二日曜日が母の日と制定され、

母の日を祝う習慣が根付くようになりました。

カーネーションを贈るのがきちんと広まってきたのもこのころです。

母の日が平和を願う日でもある事を考えると、
戦後に普及してきたというのも、何か縁深いような気がしてしまいます。


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さいごに

普段、お母さんへの感謝の気持ちって忘れがちですよね。

改めて言葉にするのも、ちょっと恥ずかしかったりします。

でも、母の日には深い意味があったのですね。

こんな素晴らしい日ですから、
母の日には、お母さまにしっかり感謝の気持ちをお伝えしましょう。

由来や意味などを教えてあげたりしても楽しいと思います^^

お読み下さりありがとうございました!

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